JFC(日本政策金融公庫)農林水産事業本部からのフォーラムエッセイの原稿依頼がありまして、AFCフォーラム6月号に掲載されました。
人生とは、面白いものと言いましょうか、予知不能と言いましょうか、この年齢まで管理栄養士を職業としていることに、私はそう思います。
そもそも栄養士には全く興味もなく、ただ自宅から通える大学が栄養短期大学でしたので入学した次第。栄養学にもあまり興味がなく、また高校卒業まで家庭で料理をしたこともなくて、お弁当は全て母が作ってくれたものを持参していました。しかしながら卒業間近になり、このまま花嫁修業をするのも嫌でしたので、両親を説得して栄養士として就職。職場ではいきなり献立作成・栄養価計算、勿論現場での調理が待っていました。年配の調理師の方からいろいろと注文を付けられたり、怒られたりの毎日で、栄養士仲間と泣きながら励ましあったことも多々ありました。これらの経験が私に栄養士としての火をつけたのです。絶対一人前の栄養士になるって!理解のある上司や素敵な先輩に恵まれ、次第に仕事への意欲も湧いてくるようになりました。
不思議なもので、真面目に真剣に仕事をしていますと、必ずどこかで誰かが見てくれているものですね。企業や銀行、工場、保育所、病院などから次々とお声がかかり、献立作成や栄養指導、栄養士育成など幅広い仕事をしていく中で、「食」は生きることに必要不可欠なものであること、そして生活習慣病は日々の食生活を見直すことで予防ができることなど、管理栄養士としてやるべきことは多々あるとの想いが募りました。
最大の転機は1990年、体脂肪計で知られる株式会社タニタから併設の減量センターで栄養指導の要請があったことです。肥満者を対象に減量指導を行い、それなりに良い結果も出るようになりタニタというブランドもあり、テレビや雑誌などマスコミに出させていただくようになりました。栄養士といいますと比較的表に出ない地味な職業でしたので、私にとりましては随分と環境が変わりました。それと共に、長年栄養や健康について皆さんにお話ししていますので、私自身健康には随分気をつけています。この年齢になるまで病気は殆どしたこともなく、健康診断でも異状がなく元気です。
この源は毎日を楽しく生きて「健康って素晴らしい!」「楽しく食べられることって幸せ!」と思っているからではないでしょうか。